
天ぷら・かまぼこ作りの揺るぎない信念と、持続可能な会社づくりへの挑戦
天乙商店は和歌山県有田市で100年以上にわたって、魚のすり身を使った天ぷらとかまぼこを製造・販売してきました。時代の変化や社長の代替わりが起こっても、味・素材・品質・衛生と全てにこだわる姿勢は変わりません。今後の会社の展望や商品作りで大切にしていることを、社長の井上修平へのインタビュー形式でお伝えします。
天乙商店は和歌山県有田市で100年以上にわたって、魚のすり身を使った天ぷらとかまぼこを製造・販売してきました。時代の変化や社長の代替わりが起こっても、味・素材・品質・衛生と全てにこだわる姿勢は変わりません。今後の会社の展望や商品作りで大切にしていることを、社長の井上修平へのインタビュー形式でお伝えします。
ーーまず、井上社長が天乙商店で働き始めるまでのお話を伺います。天乙商店は一時期、協業組合に参加しており、昭和60年1月に天乙商店として独立しました。井上社長も同じ時期に大学を中退して家業を手伝い始めたそうですね。
「たしか大学1年の冬に母親に退学すると伝えたんかな。大学受験するときも進学をやめようかという話は出ていたんですけど、実際辞めることになったのは大学1年の冬ぐらいだったと思います」
「神戸の大学に通っていたんですけど、そもそも勉強が好きではなかったんです(笑)地元の友達は大学に行く人はおらず、みんな働いていました。でも、僕は『大学に行け』と強く言われて。。嫌でしたね。」
ーーご自身としては進学よりも家業を継ぐつもりでいらっしゃったんですね。
「高校1年の時から協業組合でアルバイトをしていましたし、将来は家業を継ぐのだろうと思っていました。どうせ家業を継ぐのなら、早く働きたかった。自分で稼いだお金で好きに車を購入して、走りに行きたかったんです。大学生では購入できませんし、親に買ってもらうわけにもいきませんから」
ーー独立後、苦労している先代社長のお父様やお母様の姿を見て、退学を決意されたと聞きしました。もともと進学に乗り気でなかったこともあり、独立したのはタイミングが良かったんですね。退学後は天乙商店で働くわけですが、会社としてはイチからの再スタートですよね?
「そうですね。協同組合に参加する前は独自で設備・機械をもって製造していましたが、なにせ16年前なので機械はもうほとんど使い物になりませんでした」
ーー設備投資もイチからやり直したんですか!覚悟がいりますね。
「機械はアルバイトをしていた高校生の頃から使い慣れていたので、扱いには苦労しなかったんですけどね」
ーー当時はお父様、お母様、井上社長の3名で運営していたのでしょうか?
「はい、3名です。最初は父親の見習いとして働き始めて、ある程度仕事ができるようになったら、スーパーマーケットや市場への配達を任されるようになりました。母親はペーパードライバーで運転ができなかったので、車の運転は父親か私しかできません。当然父親の方が仕事はできるので、配達や外回りの仕事は私がほとんど担当しました」
ーーそこから年月を経て、お父様から経営を引き継ぐことになります。社長になるにあたって、お父様の印象に残っている仕事への姿勢や言葉はありますか?
「今のように物価が上昇したことが、過去にも何度かありました。当然原材料の価格も上がるわけですが、気持ちとしては安い方を買いたくなるんです。それまで5000円で仕入れてたのを4800円のものを探すとか」
「でも、そうしたときに父親はよく、『原価が上がってきたら、それまで5000円で仕入れてたなら6000円や7000円のもんを買うてみな。他社は絶対4500円とか安い方を買うから。ちょっと高いもんを買うて今までと同じやり方で作ってたら、ほっといても他社の商品と味に開きが出てくる』と言っていました。そうした姿勢は今も続けています。原材料の価格が高くなっても普通に買っています」
ーー天乙商店の素材へのこだわりは、そうしたところで代々引き継がれているんですね。
「たぶん、1円も値切ったことはないと思います。僕の奥さんが値切るの嫌いやし(笑)例えば公式HPやECのリニューアルにあたって『これくらいお金かかるで』と伝えても、『あぁそう。払っておいたら?』と言って終わるような人なんで」
ーー奥様は思い切りが良い面をお持ちなんですね。お父様にもそうした面はありましたか?
「ありました。私の方は今まで会社のナンバー2の仕事を担当することが多く、実はナンバー1の仕事は向いていない方だと思っています。新しく事業を立ち上げることは少し苦手かもしれません。ただ、人材を集めてきて現場で指示を出す、ナンバー2の仕事は得意です」
ーー新しく創り出す仕事は奥様が得意で、それを補佐する役割は井上社長が得意。お二人でバランスが取れているんですね。
「そうです。個人的に、倒産した会社を立て直すという事業なら、やってみたいとは考えています」
ーー天ぷらやかまぼこの商品づくりにおいて、これからも大切にしたい姿勢や挑戦してみたいことはありますか?
「やっぱり『美味しい』って言われる商品を作っていきたいと思います。かまぼこを例に出すと、当社のかまぼこはしっかりした食感です。先日、娘が他社のかまぼこを食べてみたら、『ふにゃふにゃして頼りない』と言っていました。でも地域性や好みがありますから、他社はそうした食感で良いんです」
「当社のかまぼこや天ぷらは、昔浜辺で作っていた時代の、濃厚な味がついているけど上品で、しっかりした食感を目指しています。それは玄人好みの味や食感かもしれませんが、だからといって駄目ではないと思うんです。食べて美味しいと感じる人はいるはずです」
ーー実際、数十年にわたる常連の方や県外から買いに来るお客様もいらっしゃいますものね。
「例えば、パンでも同じでしょう。ふんわり柔らかな食パンが好きな人でも、硬いフランスパンを食べることだってあると思います。実際、高級食パンブームの中でもフランスパンは売れていますし。そういうスタンスで、美味しいものを作っていきたいと考えています」
ーー他社の商品やブームに惑わされず、昔ながらの味や食感を守っていくという信念を感じます。やはり、浜辺で作っていた時代の味や食感が井上社長のベースになっているのでしょうか?
「なってるんやと思います。当社の天ぷらの『ほね天』は、すり身の中に魚の骨も入っています。だからざくざくした食感だし、切り口も黒っぽい。他社の天ぷらは骨を全部取り除いて、水晒しをしているので切り口は真っ白です。だからといって当社の天ぷらが美味しくないかというと、美味しいんです。そうした魅力を大事にして売っていきたい」
「ほね天は、天乙商店として再スタートした時から今まで会社を支えてくれた人気商品です。だからこそリニューアルして、大きく売り出したいと考えています。味の方は、もう少し万人に好かれるよう調整してもいいかもしれません。骨が入っているから、他の商品よりも味が濃いんです」
ーー天乙商店というブランドを広めるための第一歩として、看板商品であるほね天のリニューアルをお考えなのですね。私も大好きなので楽しみです。他に何か、挑戦したいことはありますか?
「私は40年以上、天乙商店で働いてきて、他社で修行をしたこともありません。だからいっぺん、なんのしがらみもなく新しいことをやってみたい。天乙商店の名前を使わず、別軸で事業でもいい。新規事業なら、初年度に1万円売れたら1万円の売上、翌年2万円売れたら売上100%UPやないですか(笑)伸びしろしかない」
ーーECサイトでの販売は、その考えからスタートしたのでしょうか?
「そうです。結構な年齢ですけど、いっぺんそうした取り組みにチャレンジしてみたいんです」